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企画力・開発力アップのための近未来デザインシナリオ法講座 |
スタンリー・キューブリック監督による映画『2001年宇宙の旅』のなかに、はじめて人類が人間として物心つきはじめたと思われるころ、動物の骨を道具として手にしているシーンがあった。つまり、人間は他の動物と異なり、骨を武器としてあるいは道具として使いはじめたことを示している。すなわち、道具をつくり、使用する能力を備えたホモ・ファーベル(工作人−homo faber)の出現である。
人間がこのように動物の骨や木の枝などを手にした瞬間、すでにそれまでの人間とは異なる存在となった。以後、人間の欲求は、限りなく、とどまるところを知らず進むようになる。人間は一辺の骨や小枝を道具としてはじめて使い、その働きのすばらしさを知り,もはやそれらのもつ利便性の虜となり、もとへは戻れぬ存在となった。しかも、それらの利便性を手中に収めたにもかかわらず,もっと機能的にならないものか、さらには、使いやすくできないものか、と新たな欲求をもち続ける。
もともと道具は人間の欲求から発したのだから、身体の各器官の働きを外部へ延長したものだと考えていい。たとえば、手の延長はスプーンやスコップ、パワーショベル、ロボット等へと発展・展開されてきた。足は自転車から自動車や電車へ。目は身近なところで眼鏡から顕微鏡、望遠鏡、そしてカメラ、テレビなど限りがない。
このようにみてくると人間の身体の各器官の働きを基本にして道具は発展・発達してきたことがうなずける(図表2-1)。
人間が生活をするために自然の材料に対してなんらかの知恵にもとづく加工をしようとしたとき、すでにデザインの芽ばえがあったと考えていい。たとえば、水を汲むとか飲むなどの行為のために、両手で器のようなかたちをつくり、道具化しようとしたかもしれない。しかし、その方法の不具合を感じとり、自然の材料を使い加工して、より扱いやすい軽くて丈夫な器をつくりあげてきた。たしかに最初の道具は水をこぼさないように、“満たす機能”が優先したと想像される。それ以後はもつ、運ぶ、あるいは貯蔵するなど生活の欲求条件にもとづいて改良されてきたはずである。
しかし、このような機能的、性能的な条件とは異なる側面が道具に備わっていることに気づく。遺跡などから発掘された道具にすら、すでに紋様などが描かれているのが認められている。これは紋様や色だけではなく、形にもみられる。それが土でできていようとあるいは金属であろうと、何らかの“しるし”が表現されているのである。それは汲みやすいとか扱いやすいなどの機能的な条件とは違った要因をもっている。おそらく厳しい生活のなかとはいえ、多くの思いが込められたのかもしれない。また、仲間に何かを伝えるための表現であったかもしれない。つまり、ある種の欲求といえなくもないが、美的なこと、宗教(あるいはアニミズム)的な思い入れなどがあり、いわば情報伝達的な意味を含んでいたと考えられる。
このようにみてくると、“器”という道具ひとつにしても機能的側面と情報的・情緒的側面を備えているのがわかる。
図表2-2に示すように、この二面性のもつそれぞれのウェート、つまり比重は道具によって異なる。このバランスを間違うと製品は生活のなかに受け入れられにくくなる。たとえば、試験管は精密な実験のための機能・性能が優先され、間違っても情緒的な花柄はつけられない。道具にはそれぞれ目的に応じた機能的側面と情緒的側面のほどよいバランスが求められる。しかし、この比重が常に決まっているかというとそうでもない。たしかに基本的な比重は存在し動かないが、社会の変化、すなわちわれわれの生活への欲求の変化によって少しずつ動く。このわずかな変化をいかに感じとるかが製品企画の大事なポイントである。そして具体化する際、デザイン上の造型力のトリガーとなるのはいうまでもない。
前節で述べたようにA.マズローのいう社会的欲求の時代にあたる高度成長期までは、同時にモノ不足の時代でもあった。しかも、市場は量産体制にもとづくマス・マーケットであった。基本的には製品はどちらかといえば技術革新による機能・性能を優先した企画・開発であり、この時期の製品は同質・類似的でもよかった。つまり、テレビはひたすらテレビそのものでよかった。テープレコーダーは録音・再生ができるという機能を追求していればよかった。いいかえるなら、“テレビ”、“テープレコーダー”という既成概念としての名詞からの企画発想で事足りたわけである。また、あえてこのアプローチを大きく変える必要もなかった。しかし、市場が徐々にゼロ・サム化し、多様化の傾向をたどるにしたがい新たな提案を手法としてもたざるを得ない状況に突入した。
本来、製品企画・開発のプロセスでは、企画の段階では、コトといわれる要素、つまり使い方などの作法について、具体的に設定しておかねばならない。ともすると手抜きをしたライフスタイルのクラスターの設定にとどまり、具体的イメージを怠りやすいものとなる。それはむしろ、機能・性能の設定以前に、あるいは少なくとも同時に行わなければならない。つまり、順序としてコトを先に考え、それにもとづくモノを具体化することと定義できる。しかし、実際にはモノはみえる存在であるから、思考のプロセスではハンドリングしやすい。これに対してコトはみえにくい。このことが企画・開発の手法、つまり「柔らかい技術」を遅らせ、貧弱なステップにとどまっていた理由のひとつでもある。しかしながら、時代の変化とともに製品企画への要求事項の内容は多岐にわたるとともに正確さを求められるようになった。つまり、多様化、個性化に対するキメ細かいマーケティングがなければ提案のヒントはつかみにくいわけである。とくにプランナーをはじめとしてデザイナー、設計者自身が生活や市場のなかに欲求の変化をつかみとる姿勢が求められた。企画・開発の当事者自身が“生活者”であることを要求されたわけである。みえにくいコトを観察し、発見するにはこのことが最小限必要であったわけである。とはいえ、コトといわれる生活の行為単位を観察し、発見できるためには人間の基本的な行為・行動心理を知り、予知情報を得るための“仮説”が必要となっている。
コトを観察し発想していくには、その構成要素を知っておくことが大切である。自己実現欲求の時代に伴う多様化、個性化にあたっては、サイコグラフィック的な要因(ライフスタイル、パーソナリティ、認知段階、感受性など)の重要度が高くなってきている。
コトといわれるモノにかかわる使い方、作法などの生活での個々の行為は、最終的には「生活のシカタ」として総合化され集約される。たとえば、オフィスの機器類を企画・開発するには、その機器がどのように使われるか、端的にいえば、5W1Hで描かれたコトの概略にもとづいて機能・性能は設定される。しかし、使い方としてのソフト、つまり、コトを想定するまえにソフトとしての上位の概念のソフトが設定され解決されなければ企画は進められない。機器としてのモノと人間との関係だけでは進められないからである。もともとオフィスのなかで“仕事をする”ことは1人で行うわけではない。そこで求められていることが“仕事の質と量”を快適に(人間的に)行うことだとすれば、「仕事のシカタ」をいかに企画し、デザインするかが第1目標となる。コトと一口にいっても上位の概念のコトがあり、このことを「シカタ」といっておきたい。また、ソフトの上位の概念であるからソフトのソフト(soft
of soft)と呼ぶこととする。モノの開発はすべからく、これらの順序で考えていくべきなのである。
以上のことから、コトを発見・創造するにはいろいろな基礎的で総合的な学問や新しい研究が必要となる。基本的には人間を中心としたものであるから、人間のかかえる相反する要素や矛盾的事項も多い。また、多岐にわたる総合的要素であるから、芸術から工学までを融合化する芸術工学、とくに自然科学から社会科学、文化人類学を結ぶ学問、心理学を中心とした感性工学、認知科学、人間工学などこれらを関係づけていく総合的デザインが主役となる。
多様化・個性化の時代に入り、すでに述べたように企画・開発のアプローチに“コト”からの発想が顕著になりはじめた。従来のアプローチが機能・性能を主体とした従来の延長線上の企画であったのに対し、1980年代に入り、コトつまりソフト的技術=「柔らかい技術」が目立ちはじめた。
事例その1
たとえば以前の高級一眼レフカメラは、じっくり撮ってプロのような写真をつくるセミプロ的志向の戦略をもっていた。つまり、マニアライクな人生を主題として考えていたが、これに対して、キヤノンは“気持ちのよい写真を撮る”ことをテーマとしてユーザー層を変えてしまった。いままでの“じっくり撮る”に対して“連写一眼、バチバチ撮る”などのように、「撮影のスタイルを変えること」をコトとして提案し、その行為・作法を含めた「AE−1」を開発した。
事例その2
これに対して、富士写真フイルムの“写ルンです”は販売のネットワークをいかし、どこででも手に入る安価なカメラシステムを提案した。注目すべき点は次の点である。カメラはいくら安くできるとはいっても精密機械らしさと高級なイメージをもつものである。だから、1,000円程度のカメラはおもちゃの域をでず、また、そのような見方をされやすい。ましてや15万〜20万円の高級一眼レフと比較すると一目瞭然である。結婚式場などでの状況を想像してもらえばわかりやすい。このカメラの目的とメリットを理解し心理的にも満足させるために、本格的カメラと比較されないための“記号化”としてパロディーを利用している。つまり、カメラでありながら、フイルムにレンズがついたといい、そのイメージもフイルムのイメージパッケージとなっている。ユーザーもこのことを承知し認知している。このパロディーともいえる顧客のふところの心理を表現せずにあくまでも精密カメラをイメージしたものは、目下のところ挑戦しても無理のようである。
事例その3
もうひとつ幅広い生活の道具として、アウトドアや自然とともにあるカメラの例がある。同じメーカーの提案なのだが、カメラは精密機械であるから、雨やゴミの多いところへはもっていけなかった。まして海や川などはもってのほか。もっていくようなひとは、機械を知らない、と軽べつされたものである。しかし、雨や嵐、川や海のなかでこそ撮りたい対象があるものである。したがって、これらの状況に応えられるコンセプトを確立し、コトとしての作法とモノとしての形を備えたカメラ(HD-1)が生まれた。
事例その4
キヤノンのミニコピアは機器の「使い方」をまず開発し、そこから「新しい機器のあり方」を発想した方法である。当時の市場はゼロックス社の普通紙複写機(PPC複写機)でスタートし、中規模以上のオフィスにおいて一応落ち着き、次は小規模のオフィスや店舗、および個人を対象とする段階であった。また、販売システムはリースやレンタルであり、メンテナンスや紙・トナーなどのサプライ業務もこのシステムのなかにあった。しかも、文具のように小型化すればいいというものではなかった。このような状況下にあって“コト”に相当する“使い方”から開発ははじまった。まだ完成していない使用例を先に描き、ニューマーケットとおぼしきお寺や病院に、いわば、仮説ともいうべき使い方を実際に検証する方法により、たしかな使い方の裏づけをとりながら具体的な機械設計の企画仕様に近づけていくやり方であった。したがって、製造ラインを変えないことを前提にしている考え方とは異なり、真のユーザーニーズやウォンツをいかに実現化し、提供するかを、あくまでも目的としたものである。
事例その5
シャープのUseシリーズの例である。
主婦を対象とする家電製品の場合、製品の改良は一般的には効率よく、早く仕事が完成することが命題である。したがってスピードアップなどの仕様変更は頻繁に行われる。しかし、ユーザーの心理的満足度は違っていた。食器洗いが5分や10分速くなったとしても気持ちのうえで楽になったという意識は生まれない。むしろ家事によって自分の時間を拘束されたくないという、家事からの解放が求められていたのである。そこで、製品には@家事の自在化、A家事の代行、B家事の分担が主要な開発コンセプトとして盛りこまれた。
@家事の自在化とは、“主婦が作業を行おうとするときはいつでもできること”。
A家事の代行とは、“機械がすべてやってくれること”。
B家事の分担とは、“主婦以外の家族、いわゆる大人から子供、老人にいたるまで動員する”分担制のこと(分担制により、皿洗い機は1〜2人分の大きさとなり、油ものなどを洗うのに最適のモノとなった)。
適切な製品企画・開発は、いきなりモノを成立させようとするのではなく、まず、コトづくりがあってモノが完成する。たしかに、モノづくりの出発点は、生活者のもつ「ニーズやウォンツ」の発見からはじめられなければならない。そして、モノには生活の文脈の基盤として、そこに明日への新しい生活の糸口がコトとして含まれていなければならない。製品につくり手の「顔」としての提案意図が“わかる”ことが重要であり、またこのことが開花し、新たな生活をつくっていく。つまり、提案性の高い、いいものは生活者の参加によって文脈が読みとられる。
新たな使われ方をつくりだすことによって、モノとしての完成度を高めるところとなる。いいかえるならば、フィード・フォワードしたコトをフィードバックしてモノ化するのである。ふたたび、モノは人によって幅広い思いもかけない使われ方をする。このくり返しによってコトは発展し、またモノも発達しなければならない(図表2-3)。使い手によっても新しい使われ方が発見・創造される。それはやがて多数の人びとによって支持され広がる。そしてアノニマス(無名性)的役割として確固たる次世代の道具、つまり文化の礎となっていくことを実はわれわれは願っている。
冒頭のシーンで人間が道具を手にした以上、このポリシーを忘れて企画・開発をしてはならない。